光陰矢の如し
人間は自身の生死の問題から目を背けると、どうしてもダラダラと時間を過ごしてしまうものです。そして怪我や病気などで命を脅かされたり、ボチボチ生き永らえて老いを実感し始めた頃に、さながら夏休みの最終日の如く、人生への焦りや迷いを感じ始めます。
人間は基本的に怠け者であり、やりたい事が無かったり、死の実感が薄かったりすると、つい日々をダラダラと無為に過ごしてしまいます。禅寺ではそれを戒める為に、朝夕に巡照板を叩いて「六祖壇経の偈(げ)」を誦(しょう)します。
六祖壇経は中国禅宗の第六祖・慧能禅師の説法を、弟子の法海が書き留めたもので、禅宗における根本教典の一つとされています。
下の画像は黄檗宗・萬福寺の巡照板です。板に書いてある言葉が六祖壇経の偈(げ)で「謹白大衆(きんべだーちょん) 生死事大(せんすすーだ) 無常迅速(うーじゃんしんそ) 各宣醒覚(こーぎしんきょ) 慎勿放逸(しんうふぁんい)」と読みます。
意訳すると「謹んでみなさまに申し上げます。生死の問題ほど大切な事は無く、時は無常にして迅速に過ぎ去ります。みなさまもその事をよくよく自覚して、日々を無為に過ごさないようにしましょう」という感じですかね。
黄檗宗は中国からの渡来僧であり、中国臨済宗の正統後継者である隠元隆琦禅師を開祖とする禅の一派です。萬福寺は黄檗宗の総本山で、お経の類は全て唐韻(とういん)という古い中国語で誦します。
今の日本は「死=考えてはならない事」と捉える極端な考え方が主流になっていますが、生と死は相対関係にあるものなので、キチンと死を見つめないと生を存分に活かす事は出来ません。
誰かが死の脅威を垣間見る度に「責任者は誰だ!」と騒ぎ、実際に人が死ねば「誰の所為だ!」と騒ぎ、有無を言わさず「お偉いさん」を袋叩きにして引き摺り下ろし、とりあえず留飲を下げるのが日常になっています。
今の日本人は民族的な生真面目さが仇になって、一億総クレーマーと化しつつあります。誰もが最低限の料金で最高の品質を要求したり、理不尽なクレームにも誠実な対応を求めるようになった所為で、大変に生き辛い国に成り果てています。
日本という国が再生するには、一人でも多くの人が「禅の精神」を学び、死や無常という現実と向き合う必要があります。時間はかかるでしょうけど、これが最も現実的で、平和的な方法だと思います。
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