坐禅と死生観

光陰矢の如し

人間は自身の生死の問題から目を背けると、どうしてもダラダラと時間を過ごしてしまうものです。そして怪我や病気などで命を脅かされたり、ボチボチ生き永らえて老いを実感し始めた頃に、さながら夏休みの最終日の如く、人生への焦りや迷いを感じ始めます。

人間は基本的に怠け者であり、やりたい事が無かったり、死の実感が薄かったりすると、つい日々をダラダラと無為に過ごしてしまいます。禅寺ではそれを戒める為に、朝夕に巡照板を叩いて「六祖壇経の偈(げ)」を誦(しょう)します。

六祖壇経は中国禅宗の第六祖・慧能禅師の説法を、弟子の法海が書き留めたもので、禅宗における根本教典の一つとされています。

 

 

下の画像は黄檗宗・萬福寺の巡照板です。板に書いてある言葉が六祖壇経の偈(げ)で「謹白大衆(きんべだーちょん) 生死事大(せんすすーだ) 無常迅速(うーじゃんしんそ) 各宣醒覚(こーぎしんきょ) 慎勿放逸(しんうふぁんい)」と読みます。

意訳すると「謹んでみなさまに申し上げます。生死の問題ほど大切な事は無く、時は無常にして迅速に過ぎ去ります。みなさまもその事をよくよく自覚して、日々を無為に過ごさないようにしましょう」という感じですかね。

黄檗宗は中国からの渡来僧であり、中国臨済宗の正統後継者である隠元隆琦禅師を開祖とする禅の一派です。萬福寺は黄檗宗の総本山で、お経の類は全て唐韻(とういん)という古い中国語で誦します。

 

 

今の日本は「死=考えてはならない事」と捉える極端な考え方が主流になっていますが、生と死は相対関係にあるものなので、キチンと死を見つめないと生を存分に活かす事は出来ません。

この死生観の歪みは、2019年の「コロナ禍」によって最悪の形で噴出しました。メディアに洗脳された「自粛警察」が経済の循環を止めて、若者の失業→貧困→自殺という悲惨な流れを作ってしまったのです。

そもそも世界中を人が行き来するグローバルな時代に、ウイルスを完全にシャットアウト出来る訳がありません。今後もコロナ禍のような大騒動が起きるのは確実ですし、その度に経済の循環を止めていたら病死よりも貧困による自殺者の方が多くなるのは明らかです。

 

誰かが死の脅威を垣間見る度に「責任者は誰だ!」と騒ぎ、実際に人が死ねば「誰の所為だ!」と騒ぎ、有無を言わさず「お偉いさん」を袋叩きにして引き摺り下ろし、とりあえず留飲を下げる。こんな真似を延々やった所で、一体、何が前に進むと言うのでしょうか?

今の日本人は民族的な生真面目さが仇になって、一億総クレーマーと化しつつあります。誰もが最低限の料金で最高の品質を要求したり、理不尽なクレームにも誠実な対応を求めるようになった所為で、大変に生き辛い国に成り果てています。

日本という国が再生するには、国内に蔓延る病的な価値観を一掃する必要があります。その為には「禅の精神」を学び、死や無常という現実と向き合える人を少しでも増やさなければなりません。時間はかかりますが、これが最も平和的な解決方法だと思います。

 

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