坐禅と唯識

唯識学について

唯識(ゆいしき)とは、世界は八種の識(しき)によって成り立つとする大乗仏教・唯識派の教えです。八種類の識とは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感と、通常意識、深層意識、無意識の事を言います。

唯識学では八種の識以外には何も無く、あらゆる存在は空(くう)であると説きます。空(空性)とは実体が無いという意味で、縁起に依らず独立単体で成り立つもの(自性)は無いという事実を示す言葉です。

唯識学は「物体の実在」を否定しておらず、あらゆる物事に「自性と呼べるものは存在しない」と説いています。しかし、人間の識は全自動的に自性を認識するように出来ているので、ちょっと勉強したくらいでは無自性や空性といった理法を腑に落とす事は出来ません。

 

この図は心理学の用語などを交えて、八識を説明するものです。第九識(阿摩羅識)は個人の領域を超越した真理の世界です。

 

 

表層意識から深層意識へ

表層意識は多様性と可能性の世界なので、高みに昇れば登るほど複雑になっていきます。深層意識はその逆で、深みに達すれば達するほどシンプルになっていきます。表層意識と深層意識を隔てているのが自我境界線です。

表層意識の高みに昇って「個性の開花」という課題を達成するまでは、自我境界線を突破するのに必要なだけの爆発力(エネルギー)と精神力が身に付きません。まるで振り子のように、表層意識の高みに昇れば昇るほど、後で深層意識の深い部分にまで届くようになります。

そして坐禅は八識を俯瞰する第九識に立ち返り、全ては一つ(ワンネス)という最もシンプルな答えを獲得する為のメソッドです。(ただし、第九識が第九識を認識する事は無い)

 

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