坐禅と食事

食事もまた修行なり

東南アジアやスリランカなどに根付いている南伝・上座部仏教の僧侶は、戒律により午後に食事(固形物)を摂りません。また、僧侶は自炊を一切せず、全ての食を托鉢で賄い、施された食べ物は肉でも何でも普通に食べています。

中国大陸経由の北伝・大乗仏教も、午後からは食事を摂らない事になっています。ただ、上座部仏教の僧侶とは違って作務(さむ)がありますし、厳格なベジタリアンでもあるので、夕飯を食べないと体がもちません。なので夕飯を薬石(やくせき)と言い換えて、薬として摂取しています。

ヒンドゥー教やバラモン教の僧侶も、殆どがベジタリアンです。一般的に上位カーストの人ほど食事に関する戒律に厳しいと言います。因みに、出家修行者であるサドゥー(ヨーガ行者)は、主に全粒粉のパンとミルク入りの紅茶や、米と野菜と豆を適当に煮た粥(キチュリー)を食べています。

 

しかし、修行者達の粗末に過ぎる食事では、健康を維持するのは難しいと言わざるを得ません。長く修行生活を送る内に体が粗食に慣れてくると言われていますが、曹洞宗・永平寺で修行をし始めたばかりの禅僧は、栄養不足で脚気を患ったりするそうです。

また、ボクサーの辰吉丈一郎氏は、減量の為に食事は一日一回、それも極少量という生活を長年続けていたと聞いています。それでも戦う為の肉体を維持出来るのだから、人体とは凄いものです。

ダイエットにおけるリバウンドのように、いきなり食事量を減らすと体を壊しますが、ゆっくりと時間をかけて体を粗食に馴らしていけば、厳しい食糧事情に体が適応してくれます。その過程もまた、修行と言えるのかも知れません。

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