むかしむかし、中国の禅寺で、経典の講義がありました。その時に二人の僧侶が、旗が揺れるのは風のせいか、旗のせいかで言い合いを始めました。
そこに六祖・慧能禅師が現れて、二人の僧の間に割って入り「揺れ動いているのは君たちの心の方だ」と諭したそうです。
老僧「・・・とまあ、これが第二十九則・非風非幡(ひふう ひばん)のあらすじだ。」
小僧「師匠、何故この二人の僧侶は、旗が揺れる理由なんかで揉めたんですか? ぶっちゃけ、そんなのどうでもよくないですか?」
老僧「確かに不毛な議論だよな。我々の感覚だと、そんなもん考え方ひとつだろと言いたくなる。だが昔の人達は、恐らくこういう言い合いをしょっちゅうしていたのではないかな。」
小僧「どうしてですか?」
老僧「多分、まだ共通認識となるべき、学術的な模範解答が少なかったからだ。現代人は風が吹く科学的な理論の方に関心が向くから、旗が揺れる理由など考えもしない。」
小僧「それは確かにあるかもです!」
老僧「だから現代人は悟り難いんだけどな。他人が出した『とりあえずの答え』が山ほどあるから、自分のアタマで考える余地が無い。」
小僧「うっ、そ、それも確かにあるかもです・・・。」
老僧「昔の人は、飛花落葉を見て無常を悟ったり、十二因縁の逆観によって悟る人が多かったらしい。現代人でそういう悟り方をする人は、まず居ないだろうよ。」
小僧「うう、ひょっとしたら、昔の人の方が賢かったのかも知れませんね。」
老僧「いやいや、知能指数は現代人の方が遥かに高いさ。脳の成長に回す栄養や、勉強の質も全く違うしな。」
小僧「それなのに、昔の人に敵う気がしないのは何故ですかね・・・。」
老僧「まあ、そこは昔の人に倣って、まずはアタマの大掃除をするべきだろうな。」
小僧「アタマの大掃除、ですか。」
老僧「フフフ、別の言い方をすると・・・。」
小僧「まさか『アタマを取れ』ですか?!」
老僧「グハハハ、ハァーッハハハハハ、正解だ!!」
小僧「・・・何でデーモン閣下のモノマネをするんですか。」
老僧「わしにとって、偽悪とはコレだからだ!」
小僧「はぁ・・・おぢさんめ。」
老僧「Demon … in the name of devil !!」
小僧「流行りのチェンソーマン・ネタをブチ込んでもダメです!」
老僧「いや、ストレートにカルト宗教の手法を説くより、ワンクッション置いた方が良いかなぁって思ってな。」
小僧「SNSが普及した所為か、みんな脊髄反射で物申すようになりましたからねぇ・・・。確かに自衛は必要かもです!」
老僧「ああ、みんな二秒で異論反論を潰しに来るから、会話が成立しない。」
小僧「おっかない時代ですよね。」
老僧「まあ、自分の力だけで戦うより、司法や警察を味方にする方が強いからな。メチャクチャダサいという所に目を瞑れるなら、間違いなく最強の戦法だ。」
小僧「あ、それボクは出来ません。カッコ悪いので。」
老僧「うむ、その誇りは大事にしろよ。悟りに直結するから。」
小僧「誇りって悟りと関係あるんですか?!」
老僧「はっ、私利私欲でしか動かない卑しい人間が、真実の為に一人ぼっちで戦う訳が無いだろうがよ・・・。」
小僧「えっ!? いやまぁ、そうかも知れませんけど・・・たまに師匠ってダークな面を見せますね?!」
老僧「そりゃあ、わしにだって負の側面くらいあるさ。それが全てではないけどな。」
小僧「何か、旗よりも、ボクの心の方が揺れてるなぁ・・・。」
老僧「ちと脱線し過ぎたか(笑) 問題は、旗が揺れるのは風の所為か、旗の所為か、だったな。」
小僧「そうそう、それです!」
老僧「その答えは、見方にぞよる! 以上!!」
小僧「そんなバカな!」
老僧「いや、これはマジだ。見方によって、どちらの所為かは変わるのだ。何せ、世界は人の評価によって、いくらでも姿を変えるものだからな。」
小僧「えっ・・・。」
老僧「世界に真の姿や、実体と呼べるものは無い。それを無我や、空というのだよ。」
小僧「真の姿や、実体が無いから、見方によって見え方が変わるんですか?」
老僧「その通りだ。正しさとか、絶対的という色眼鏡を叩き割れば、あるがままに世界が見えるようになる。元より世界は何も隠してなどいない。」
小僧「わ、分かるような、分からないような・・・。」
老僧「諸法無我が腑に落ちたら、ウチでは免許皆伝だ。あとは何処でも好きな所に行くがいいさ。」
小僧「ぴいぃ、まだ追い出さないでくださいぃい!」
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