
むかしむかし、嵩山・小林寺の洞窟で坐禅を組んでいる達磨大師のもとに、神光という修行僧が訪れました。彼は自ら切断した左腕を差し出して「師よ、私を安心させてください」と懇願しました。
達磨大師は「不安な心をここに出しなさい。それが出来たら安心させてあげよう」と言いました。神光(のちの二祖・慧可)は心を出そうとしましたが、出来ません。すると達磨大師は「これで安心させ終わった」と言いました。
老僧「・・・とまあ、これが無門関・第四十一則の達磨安心(だるま あんじん)という公案のあらすじだ。」
小僧「心を出せとか、一休さんのトンチみたいですね!」
老僧「屏風に描かれた虎を捕まえるから、追い出してくれって逸話か。」
小僧「そうそう、それです!」
老僧「元ネタは、江戸時代に編纂された『一休拙(いっきゅうばなし)』だと言われているな。当時は歌舞伎の演目にもなったらしいぞ。」
小僧「一休さんの歌舞伎ですか?! メッチャ見てみたいんですけど!」
老僧「確かに見てみたいな。まあ、わしはアニメの一休さん派だが。」
小僧「リアタイ世代ですもんね!」
老僧「いや、わしが好きなのはEテレの『オトナの一休さん』だよ。」
小僧「げっ、あれですか?!」
老僧「むっ! 言っておくが、あれは名作だぞ!」
小僧「あ、師匠が怒った(笑)」
老僧「あれほど一休禅師をリアルに描写した作品は他に無い。臨済禅僧は斯くあるべしだ!」
小僧「えぇ~・・・。禅僧がみんな風狂じゃ困りませんか?」
老僧「ほほう、お前は洞窟で九年も面壁坐禅をする達磨や、躊躇なく左肘を切断する慧可を常識人だと言うのだな?(笑)」
小僧「しまった、有名な禅僧は、みんなクセスゴでした(汗)」
老僧「そうとも! お前も分かってきたじゃあないか!」
小僧「何で嬉しそうな顔をしているんですか・・・。」
老僧「大きな迷いは、大きな悟りの種子なのだ。その精神的苦痛は肉体の苦痛を遥かに上回り、保身など考えられたものではない。」
小僧「今ならリスカ、レグカや、オーバードーズに走る感じですか?」
老僧「お前は、社会に見捨てられた哀れな少年少女と、求道者の違いが分かるか?」
小僧「いえ、分かりません!」
老僧「少年少女はあっさり狂気に呑まれてしまうが、求道者はどうやっても狂えない。この違いが決定的な差になるんだよ。」
小僧「えっと、それは根性の差でしょうか?」
老僧「いや、生まれつき『逃げる』という選択肢を持っていないだけだ。求道者は生まれつき、不退転(ふたいてん)の属性を持っているんだよ。」
小僧「不退転、ですか。」
老僧「およそ物心ついた頃から、逃げるという選択が無くなるな。ある意味、誇り高く、高潔な人物ほど悟りに近いということだ。」
小僧「それって、ものすごく生き辛いような気がするんですけど・・・。」
老僧「ああ、生き辛いとも。しかも逃げられんから、最後は苦悩の原因と刺し違えるしか無くなる。」
小僧「そこまで自分を追い詰めちゃうんですね・・・。」
老僧「その通り。だから慧可も自分の腕を切断して差し出したりするし、達磨もそれを平然と受け取ったりする。」
小僧「確かに、普通の人なら絶対逃げますよね・・・。」
老僧「因みに、慧可は最初から片腕で、断臂のエピソードは創作だという説もある。だが、重要なのは慧可が強い不安に苛まれ、安心を求めていたという所だ。」
小僧「え? 断臂は大事じゃないんですか?」
老僧「うむ、大事なのは慧可が大きな苦悩を抱えていて、達磨もその苦痛に理解を示し、二人とも一歩も引かなかったという所なんだよ。」
小僧「はぁ~、なるほど。禅の世界はハードですねぇ。」
老僧「まあ、確かに自ら望んで入るような世界では無いな。だからこそ、去る者を追ってはいけないのだが。」
小僧「うぅ、ボクも逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ・・・。」
老僧「某SFアニメの主人公みたいなことを言うなよ。それに、逃げなきゃ良いって訳でもないぞ。」
小僧「ああ、もう! じゃあどうすれば良いんですか! 師匠の話を聞いていると、アタマがおかしくなりそうです!!」
老僧「慧可は強い不安と、それがもたらす苦痛に苛まれていた。だから達磨は、心には実体が無いと気づかせようとして、実体の無いものをここに出せと言った。」
小僧「まるで師匠みたいな無茶振りですね! あっかんべェー!」
老僧「そう、その不可能を身を以って思い知らせる為に、敢えて達磨は『やれ』と言ったのだよ。」
小僧「無理だよ・・・そんなのできるわけないよ! そんな、できっこないよ!」
老僧「やるなら早くしろ、でなければ、帰れ!」
小僧「・・・なんか妙に似てるし。」
老僧「因みに、わしはTV版の25、26話で嵌ったクチだ。」
小僧「全部は見てませんが、それってワケワカメで有名な話ですよね?」
老僧「人の心理的葛藤を、あれほど精密に描写した作品は、他に知らん。主人公も最後まで狂えなかったから、オチ以外は完璧と言える。」
小僧「ダメなのは、例の『おめでとう』って所ですか?」
老僧「その手前の『僕はここに居て良いんだ!』だな。その答えでは、世界は壊れん。」
小僧「んん? シンジくんの価値観が一変して、自己肯定するようになっただけじゃダメなんですか?」
老僧「ああ、二祖・慧可も『不安な心を出そうとしても出せない』と知っただけでは、安心し終わるまでには至らなかっただろうよ。何故なら、心の問題には、その先があるからな。」
小僧「その先、ですか。」
老僧「心(感情)とは、水面に広がる波紋のような『現象』だ。不安は安全を脅かすものが無いと生じないし、脅かされて不安を生じさせているのは自分自身だ。」
小僧「き、急に話が難しくなってきた(汗)」
老僧「心の無自性(むじしょう)を悟って腑に落とせば、心の問題は解決する。何せ、無いものは傷つかないからな。」
小僧「へえぇ、悟ると心が傷つかなくなるんですか?」
老僧「いや、不思議な事に、ちゃんと傷つく。」
小僧「ダメじゃないですか!」
老僧「でも、不安などの心の痛みに囚われなくなるぞ。何せ、実在するものでは無いと体で理解するんだからな。」
小僧「良くは分かりませんが、そういうものなんですね?」
老僧「因みに、わしは幻肢痛みたいなものだと思っている。」
小僧「あー・・・。何となく分かりました。」
老僧「心頭滅却すれば、火もまた涼し。心の痛みも、また空(くう)なりだ。」
小僧「そこは分かるような、分からないような・・・。」
老僧「多分、達磨が『これで安心させ終わった』と言った時、慧可も狐につままれた気分になっただろうな。慧可の坐禅修行は、そこから始まった筈だ。」
小僧「確かに、納得できるような話ではありませんよね。」
老僧「結局、何だって不安材料になり得るからな。本当に安心したければ、震源地である自分自身と向き合って、心とは何かを解き明かすしか無いんだよ。」
小僧「なるほど・・・。」
老僧「わしは居場所の無い少年少女や、理不尽な社会で心を病んだ人達に、坐禅を勧めたい。何せ、行政や福祉はアテにならんし、医師は薬を出すだけ、カウンセラーは話を聞くだけだからな。」
小僧「お寺は心の病院で、お釈迦様は医王だと言いますもんね。」
老僧「狭量な世界観で作られ、自分を護るために変更された情報。歪められた真実。それを破壊する事が『世界を救う』という事だ。」
小僧「それは、ボクにも出来るんでしょうか?」
老僧「もちろんだ。本気でやれば、誰でも出来る。」
小僧「そっか・・・。じゃあ、ボクも頑張らないと。」
老僧「毎日必ず坐れとは言わんし、時間も一日五分程度で構わん。完全に諦めるまでは、不退転だ。」
小僧「はい! ボクのペースで坐り続けます!」
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