私説・牛過窓櫺(ぎゅうか そうれい)

古則公案・SS

 

五祖曰く、例えば水牛の窓櫺(そうれい)を過ぐるが如(ごと)し。頭部、胴体、四肢、全てが過ぎ終わったのに、何故、尻尾だけ過ぎる事が無かったのか?

 

老僧「・・・とまあ、これが有名な無門関・第三十八則の牛過窓櫺(ぎゅうか そうれい)という公案のあらすじだ。」

小僧「有名な公案なんですね!」

 

老僧「ああ、実に有名だ。・・・実にな。」

小僧「な、何か含みのある言い方ですね。そういう反応はお師匠様にしては珍しいと言うか、何と言うか・・・(汗)」

 

老僧「いや、昔、この公案について話していた時に、ちょっと嫌な返し方をされた事があってな。」

小僧「そうなんですか?」

 

老僧「ああ、確か・・・牛の尻尾は世界中に満ち満ちているとか言ってたな。」

小僧「如何にも禅問答って感じですね!」

 

老僧「そうなんだよ。だが、その答え方では公案の解にはならない。」

小僧「どうしてですか?」

 

老僧「恐らく、尻尾は既に世界中に満ち満ちているから、改めて通り過ぎる事は無いと言いたかったのだろう。だが、この公案は尻尾を仏の象徴として扱っている訳では無いんだよ。」

小僧「そうなんですか?」

 

老僧「牛の身体全体が窓を通り過ぎているのに、何故か尻尾だけが通り過ぎていない。普通に考えたら、そんな事はありえないが、そのあり得ない事を尋ねられている訳だ。問題は、飽くまでも通り過ぎていないと言う所にある。」

小僧「ボクとしては、禅問答は意外性がある方が良いと思っていました・・・。」

 

老僧「公案は悟りの境地に導いたり、達した境地を見極める為に用いられるものなのだから、突飛な答えほど良いという訳ではない。何度も言うようだが、わしはこの公案の場合は尻尾の正体を見極めようとするのではなく、何が通り過ぎていないのかを考えるべきだと思っている。」

小僧「む、難しくて何が何だか・・・(汗)」

 

老僧「因みに、この公案を考えたのは中国の禅僧・五祖法演(ごそ ほうえん)だ。五祖と言っても、六祖慧能(ろくそ えのう)の師匠である五祖弘忍(ごそ ぐにん)の事では無いぞ。」

小僧「五祖が何人も居て、ややこしいです!」

 

老僧「かつて五祖弘忍(ごそ ぐにん)が居た黄梅山で禅の教えを説いていた為、五祖山の法演という意味で、そう呼ばれるようになったそうだ。」

小僧「ネーミングセンスに問題があると思います!」

 

老僧「まあ、法演(ほうえん)自身が、そう呼ばれる事を望んだ訳では無いだろうから、それはいい。」

小僧「はい!」

 

老僧「豆知識だが、法演は倩女離魂(せいじょ りこん)という公案を作った人物でもある。白隠慧鶴(はくいん えかく)禅師は法演が作った公案の難解さを称えて、五祖下の暗号密令と呼んでいたらしい。」

小僧「暗号密令ですか! 何かカッコイイです!」

 

老僧「確かに洒落た言い回しだな。流石に白隠禅師はセンスが良い。」

小僧「ボクもそう思います!」

 

老僧「ちょっと話が脱線気味だな。でもまあ、それだけ論じ難い公案だという事でもあるんだが。」

小僧「はい! 師匠の話にしては、珍しく切れ味が悪いです!」

 

老僧「はっは、それはすまん。」

小僧「いいんです! 難しい公案なんですから!」

 

老僧「公案に正解は無い。ただ己が境地を示せば良い。だから無数の答え方があるし、答え方は無数にあって良い。故に、わしにとって牛の尻尾とは、悟った後にも残ってしまう先入観や、思い込みを正す為の、悟後の修行を意味するものになっている。」

小僧「悟った後も、先入観や思い込みが残るものなんですか!?」

 

老僧「悟り方や、人によるかも知れんが、わしの場合は結構残っていた。元々思い込みの強い方だったし、先入観の有用性も知っていたしな。」

小僧「そんな、信じられません! ボクは師匠ほど完璧な人物は居ないと思います!」

 

老僧「わしを慕ってくれるのは嬉しいが、完璧には程遠いよ。今も昔も分からん事ばかりだし、相変わらず間違いもやらかす未熟者で、恥ずかしい限りだ。」

小僧「そんな事はありません! 師匠は自信満々で居てください!」

 

老僧「わしは常に学ぶ事を必要とする。それは終わりなき修行だ。若い頃、牛過窓櫺の公案に参じた時に、心底そう思った。思い知らされた。逆を言うと、この公案に参じる前は、修行は終わったと自惚れていた事になる。」

小僧「師匠が、自惚れ・・・。」

 

老僧「わしにとって、この公案は特別な意味を持っている。本当に全て通り過ぎたのかと自戒の意味を込めて、今でも度々参じているくらいだよ。」

小僧「そうなんですね・・・。」

 

老僧「人の苦しみの多くは、邪見が元凶だ。先入観や思い込みも、邪見が生み出している迷妄に過ぎない。そして己が心にある邪見迷妄を探し出しては摘み取る事を、わしは修行と呼んでいる。」

小僧「終わりなき修行、ですか。」

 

老僧「ああ。心を放置すると、雑草よろしく邪見が生えてくるからな。」

小僧「邪見って、生えてくるものなんですか(笑)」

 

老僧「心を鏡に例えるなら、邪見は埃や曇りのようなものだ。」

小僧「だったらキチンとお掃除して、ピカピカに磨かないといけませんね!」

 

老僧「その通りだ。では、今日も修行するぞ!」

小僧「はい、師匠!」

 

古則公案・SS

Posted by 清濁 思龍