むかし、むかしの事じゃった。ある日、ある坊さん(僧B)が、高僧と名高い僧Aと会った時に、仏とは何かと質問をしたそうな。僧Aは「乾屎厥(かんしけつ)」と答えたが、僧Bは意味が分からなかった。何故ならそれは、乾いた一本グソとか、今で言うトイレットペーパーの代わりに使う「糞かき箆(へら)」を意味する言葉だったからじゃ・・・。
僧B「ああ、おっしょさん。ごきげんよろしゅう。」南無南無
僧A「ああ、こりゃあどうも。久しぶりですのーう。」南無南無
僧B「相変わらず、おっしょさんはお元気そうで。」
僧A「そちらも、お元気そうで、なによりですのーう。」
僧B「それでですな、こないだおっしょさんが言われた事がどうしてもワケワカメなんで、もう一度、お尋ねし直したいと思いましてな。」
僧A「はて、以前わしは、何かワケワカメな事を言いましたかのーう。」
僧B「言いました、言いました。私が仏とは何かと尋ねたら、おっしょさんは乾屎厥(かんしけつ)と言いましたよ。」
僧A「あー、あんまよく憶えておりゃせんですが、そんな事も言いましたかのーう。」
僧B「いやいやいやいや、こんなとんでもない答え方をしたのですから、憶えておいてくださいよ。おかげで私は、この答えが気になって気になって、夜も眠れないのですよう。」
僧A「そりゃ何とも、お気の毒な事ですのーう。」
僧B「の、のんきな事で。流石はおっしょさん、大物ですなぁ・・・(汗)」
僧A「そうですかのーう、カッカッカ。」
僧B「ところで、私としては、この言葉の真意を聞きたくて仕方が無いんですが・・。」
僧A「真意ですかな? そんなもの、ありゃしませんがのーう。」
僧B「と、言いますと?」
僧A「そのまんまですのーう。」
僧B「仏=乾屎厥(かんしけつ)なら、我々仏僧とは、一体全体、何なんですかねぇ・・・(怒)」
僧A「仏=乾屎厥(かんしけつ)では、いけませんかのーう。」
僧B「いやそりゃダメでしょ。塗炭の苦しみをもって修行に明け暮れている、雲水達の身になってあげてくださいよ。」
僧A「はて、だからこそ乾屎厥(かんしけつ)と言ったのですがのーう。」
僧B「いい加減にしないと、怒りますよ? 撤回してくださいよ。」
僧A「撤回した所で、事実は変わりませんのーう。困った困った、カッカッカ。」
僧B「こ・・・このっ・・・!」
僧A「何を怒ってるのか良く分からんですが、何となく可哀想なので、もうちょいとだけ言葉を付け加えますかのーう。」
僧B「伺いましょう。」
僧A「うむ。先日、わしは『仏とは何か?』と問われたので、それはひり出し終わってカラカラに乾いてしまうほど時間が経った一本グソや、糞かき箆も同然だと言いました。」
僧B「そうですね。」
僧A「今でも、この例えに不備があったとは思っとりゃしません。」
僧B「・・・はあ。」
僧A「ここに言葉を付け足すとしたら、『仏という言葉』は乾屎厥(かんしけつ)も同然だとなりますのーう。」
僧B「仏という言葉・・・ですか。」
僧A「そうですのーう。でも、本来これは、そちらさんが自力で気づいて、自分で付け足さねばならん言葉ですぞ。」ギロリ
僧B「ひっ・・・。」
僧A「わしにとっては蛇足も蛇足。仏という言葉は、わしにとってはひり出し終わってカラカラに乾いた一本グソや、尻や箆(へら)の回りについた糞も同然。何故なら我が胸の内には、言葉としてひり出される前の『仏そのもの』があるからです。」
僧B「ひり出される前・・・ですか。」
僧A「言葉で表現したものは何であれ、それそれものでは無くなります。言葉には一部分だけを強調し、他の部分を切り捨てる性質があるのです。だからこそ、言葉にする前の『それそのもの』を冷暖自知(れいだんじち)せねばならんのです。」
僧B「それそのもの・・・。」
僧A「それそのものとは、真理とも言いますのーう。」
僧B「真理・・・。」
僧A「仏僧とは即ち、真理の探究者です。学者よろしく、アレコレと言葉の意味を考える者の事ではありません。」
僧B「・・・。」
僧A「だからこそ、仏とは乾屎厥(かんしけつ)と言ったのです。」
僧B「・・・分かるような、分からないような。」
僧A「あとは、ご自身で考える事ですのーう。」
僧B「・・・はい。」
僧A「仏から、仏という言葉を奪い、仏そのものを正しく見ようとしてみなされ。それが求道というものです。」
僧B「・・・分かりました。」
僧A「正直、あまり良く分かっとらん風に見えますがのーう。カッカッカ。」
僧B「・・・ご教授、ありがとうございました。」南無南無
僧A「また来なされ。わしは何時でも此処で待っておりますからのーう。」南無南無
僧Bは、仏という言葉にする前の「それそのもの」を求めて坐禅を続け、やがて悟りを開いたそうな。
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