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私説・倩女離魂(せいじょ りこん)

 

老僧「・・・以上の理由から、仏教における悟りの定義は『無我を体験する事』となる。根拠は初期仏典の『転法輪経』と『無我相経』だ。」

小僧「なるほど、とっくの昔に『悟りとは何か?』という質問には答えが出ていたんですね!」

 

老僧「定義が曖昧だと、悟りへの道筋や、言葉の意味も曖昧になるから、とても大事な話だな。とは言え、あまり浸透していないのが困りものだが。」

小僧「何故、浸透していないのでしょう?」

 

 

老僧「無我の体験と言われても、その無我とは何かが良く分からんし、そもそもあまり景気の良い話でもないからな。」

小僧「景気ですか(笑)」

 

 

老僧「ワンネスだとか、ノンディアリティとか言った方が、何となく景気が良さそうだとは思わないか?」

小僧「確かに華のある言葉ですよね。それって何だろうと興味を持ちます!」

 

 

老僧「では無我は?」

小僧「辛気くさいし、抹香臭いです!」

 

 

老僧「ズバリ言うなぁ・・・でも、まあそうだな。個人的には、だから定着しないのだと思っているよ。」

小僧「なんか残念です!」

 

 

老僧「無って言葉の響きが良くないんだな、きっと。」

小僧「我ここに有り(有我)と叫んだ方が盛り上がるような気がします!」

 

 

老僧「そうだな。誰だって消えたくはないからな。」

小僧「えっと、それって仏教は元よりウケが良くない宗教だという事でしょうか?」

 

 

老僧「わしはそう思っておるよ。だから徳や、有り難みを付加したり、御利益とセットにしないと滅んでしまう。」

小僧「ウチの寺も貧乏所帯ですもんね。師匠の実力は本物なのに・・・悔しいです!」

 

 

老僧「仕方あるまい。需要と供給の問題だ。」

小僧「でも、ボクは師匠の教えを必要としています!」

 

 

老僧「うむ、そんなお前に一つ質問をしてみよう。ちと難しいかも知れんが、頑張って答えてみよ。」

小僧「はい、師匠!」

 

 

老僧「これは昔の中国の話だ。ある街に倩(せい)と言う美しい娘が居た。豆知識だが、倩と言う漢字には美しいとか、器量が良いという意味がある。」

小僧「日本人なら美(ふみ)さんとか、美(よしみ)さんみたいな感じでしょうか?」

 

 

老僧「そうかも知れんが、それはいい。」

小僧「はい!」

 

 

老僧「この倩には父親が決めた婚約者が居たのだが、その婚約者が科挙に合格して街を出て行く事になり、婚約者の倩もついていった。」

小僧「ハッピーな話です!」

 

 

老僧「倩と婚約者は結婚して幸せに暮らし、やがて2人の子供をもうけた。子育てが一段落した頃、倩は里帰りがしたくなり、家族四人で国に帰った」

小僧「親孝行ですね!」

 

 

老僧「先に旦那だけが倩の家族と某所で会う事になり、挨拶と近況の報告をしたのだが、その時にトラブルが発生した。」

小僧「なんでしょう、ドキドキ。」

 

 

老僧「何と、倩は実家で病に伏せっていたのだ。数年前まで婚約者であった旦那が街を出て行き、愛する男に振られたショックから立ち直れなかったのだと言う。」

小僧「え、え? 何ですかそれ? 倩さんは子供と一緒に里帰りしたんですよね?」

 

 

老僧「この話の噛み合わなさに、倩の旦那と父親は心底驚いた。」

小僧「それは絶対にドッペルゲンガー現象です! ボクはそういうのに詳しいんです!」

 

 

老僧「ドッペルかどうかは知らんが、倩は2人存在する事になる訳だ。驚いた倩の家族は、慌てて倩と子供を実家に連れ帰った。すると、床に臥していた方の倩も起きあがって玄関に迎え出た。そして玄関で出会った2人の倩は、融合して一人になったと言う。」

小僧「ミステリーです! オカルトです! ボクはそういう不思議な話が大好きなんです!」

 

 

老僧「さて、質問だ。2人の倩のうち、どちらが本物だと思う?」

小僧「えええええ!?」

 

 

老僧「どちらが肉体で、どちらが魂かと聞いてもいいな。だからかどうか知らないが、無門関という公案則の本には、倩女離魂(せいじょりこん)というタイトルがついている。第三十五則だな。」

小僧「そんなの、分かる訳がありません! 公案の話は訳が分からないから嫌いです!」

 

 

老僧「さっきまで、オカルトやミステリーが好きだと言っていたじゃあないか。」

小僧「それと公案は話が別です!」

 

 

老僧「この話の面白い所は、答えが無い所だ。2人の倩が存在し、融合を果たして一人になったという所で話が終わる。」

小僧「でも、どちらが本物だったのかと言われると、すごく気になります!」

 

 

老僧「そうだな、蛇足ではあるが、そこは気になるポイントだ。しかし答えは無い。」

小僧「そんなのイジワルです。モヤモヤしてスッキリしません!」

 

 

老僧「どうとでもとれる話を、どっちが本物かと考える事自体が、無駄だとは思わないか?」

小僧「ボクは真実を探求するのが好きなんです。気になったら調べずには居られません!」

 

 

老僧「それは実体や、我と呼ばれているものを求めるのが好きだと言っているのと同じだな。そして仏教は、実体や我の存在を否定している。」

小僧「うう・・・難しいです、受け入れ難いです、仏教が嫌いになりそうです!」

 

 

老僧「存在と現象はあっても、万物に実体など無いし、自分など居ない。全ては無我であり、空だ。」

小僧「ボクには分かりません、ボクはここに居ます!」

 

 

老僧「お前にも実体は無い。色々な要素が組み合わさって、自己なる存在を認識するようなっただけでな。」

小僧「それが無我という事ですか・・・。」

 

 

老僧「そうだ。今は分からなくてもいいが、体には通せ。」

小僧「うう・・・。でも、無我と分かった所で、何になるんですか?」

 

 

老僧「あるがまま、とは何かが分かるようになり、どちらが本物かとか、どれが本物かと悩まなくて済むようになる。」

小僧「な、なんですか、それ・・・。」

 

 

老僧「本物か偽物かという二元論的思考から自由になると言い換えてもいいな。本当は不自由など無いのだが。」

小僧「訳が分かりません! 実体が無い事や、無我が真理なら、世界は闇です! そんなの虚無的じゃないですか! ボクは世界を明るく照らす光が欲しいです! 仏教はその光であるべきです!」

 

 

老僧「ならば、納得がいくまで世界を照らしてみるがいい。それこそ、あまねく隅々までな。」

小僧「分かりました師匠! ボクはやります、やってみせます!」

 

 

老僧「その意気だ! かつてはわしも、同じ思いで修行に励んだものだよ。」

小僧「ボクは師匠の弟子ですから、同じ道を歩むのは当然です!」

 

 

老僧「良いタイミングだから言っておくが、修行とは『矢折れ弾尽きるまで真理を探究する事』に他ならない。かつて釈迦世尊が苦行によって『この方法では悟れない』と理解したようにな。」

小僧「矢折れ弾尽きるまで・・・ですか。」

 

 

老僧「修行の道は、行き詰ってからが正念場だ。引き返す事も出来ず、八方塞がりに陥って、もうダメだ、もう御仕舞だと思っても、実はその先がある。絶体絶命の窮地でのみ、真理の扉は開くのだ。」

小僧「諦めたら、そこで試合終了なんですね!」

 

 

老僧「その通りだ。死や破滅を恐れず、己が手で真理を掴もうとする勇猛な心こそ、求道心(ぐどうしん)と呼ぶに相応しい。」

小僧「うっ・・・。正直、ボクにはそこまでの求道心は無いかも知れません(汗)」

 

 

老僧「心配するな。それは誰もが同じだ。」

小僧「でも、師匠には本物の求道心があったんですよね?」

 

 

老僧「まあ、最後の最後には芽生えてくれたな。そこまで追い込まれる前のわしは、私利私欲だけのクソ野郎だったが。」

小僧「エッ?!」

 

 

老僧「真理の探究は、最終的にエゴとの戦いになる。何故なら、エゴはあらゆる虚妄の根源だからだ。エゴは虚妄しか生み出さないと看破すれば、後に残るは真理のみだ。」

小僧「後に残るは真理のみ・・・。」

 

 

老僧「我々の関心の対象は、幼い頃は自己から世界へと広がり、成熟すると世界から自己へと収束するようになっている。そして『真の自己』を見極めた者は存在性を失い、虚無虚空へと還るのだ。」

小僧「それって、消滅するって事ですか・・・?」

 

 

老僧「悟った後も肉体は残るから、メシは食うし寝たりもする。だが、もう『個人としては、そこに居ない』のだ。無我とは、そういう事なんだよ。」

小僧「そこに居るのに、実は居ないんですね・・・。」

 

 

老僧「まあ、本当は最初から誰も居ないんだけどな。存在という概念そのものがエゴの産物だから、それを看破しないと本当の生は始まらないんだよ。」

小僧「今のボクたちは『存在』という概念に振り回されている状態なんですね・・・。」

 

 

老僧「2人に分かれていた倩女は、融合を果たして一人になった。だが、覚者以外の全人類は、エゴと自己に分かれたまま、今日も『存在』している。」

小僧「そういえば、ボクも自分の中に、もう一人のボクが居ると思った事があります!」

 

 

老僧「『見る者』と『見られる者』の分離、自己の二重性に気づく事から修行は始まる。その事実に違和感を覚えず、エゴを満たす事しか考えられないなら、むしろ矢折れ弾尽きるまでエゴを満たそうとするべきだろうな。」

小僧「師匠、ちょっと待ってください! 際限なくエゴを満たそうとするのは、破滅への道じゃないですか!」

 

 

老僧「言っても分からんなら、痛い目に遭うしかないだろう(笑)」

小僧「そ、そんな・・・。」

 

 

老僧「世の中に無駄はない。全ては起こるべくして起きているだけだ。」

小僧「因果律、ですか。でも、だからと言って・・・。」

 

 

老僧「修行の道は、解脱への道だ。そして解脱とは、エゴからの解放に他ならない。エゴを満たすのは快楽だが、それは囚われの苦しみでもある。」

小僧「一切皆苦・・・ですか。」

 

 

老僧「その通りだ。エゴの産物は全て虚妄だから、いくら快楽を追及しても一時的な満足感しか得られないし、すぐに次の欲求が始まるからキリが無い。」

小僧「じゃあ、エゴって何の為にあるんですか?」

 

 

老僧「全人類の業(カルマ)であり、原罪そのものだ。わしはキリスト教には詳しくないが、エデンの園に善悪の知識の木が生えていて、そこに生る知恵の実を食べたという話は、エゴについての話だと思っている。」

小僧「確か、アダムとイブは知恵の実を食べた事で、エデンの園を追われたんですよね。」

 

 

老僧「あるがままの世界(真如)をエデンの園と言っているなら、言い得て妙だ。でもまあ、専門外の他宗教の話は、ここまでにしておこう。キリスト教徒に失礼だ。」

小僧「ボクとしては、エゴの産物にマンガやゲームも含まれるなら、エゴの全てを否定する気にはなれません。エゴイストな人は大嫌いですけど、だからと言って創作物まで嫌うのは、何か違うと思ってます!」

 

 

老僧「そうだな、エゴを意図的に嫌っても仕方が無いし、エゴを満喫できるうちは健全な形でした方が良い。むしろ、それが修行の道を開く事に繋がる。戒律や禁欲などは、後回しで構わん。」

小僧「師匠の立場で、それを言っちゃっていいんですか?!」

 

 

老僧「お前の師匠だからこそ、言うんだよ。とりあえず、お前を修行の道に導くのが、わしの役目だからな。」

小僧「あの、ひょっとしてボクが修行の道に入ったら、指導の方針が変わるんでしょうか?」

 

 

老僧「ああ、そうなったらストイックにいくぞ(笑)」

小僧「ひええ、お手柔らかに~~~!」

 

無門関 一覧
無門関とは無門関とは、中国臨済宗・楊岐派の僧侶である無門慧開(1183~1260)によって編纂された、公案問答集の事です。第48則までありますが、その理由は不明であり、公案の難易度順にもなっていません。・序文大道無門、千差路有り。此の關を透...

 

古則公案・SS
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コメント

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