私説・隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)

 

両手を打ち合わせたらパンと音がする。 さあ、どちらの手が音を立てたのか分かるかね? そして、片手だけなら、どのような音がすると思う? 因みに、この二つの問いの答え方は同じだ。さあ、隻手の声を聴いてみよ!

 

老僧「・・・とまあ、これが有名な隻手の音声(せきしゅのおんじょう)という公案の概要だな。」

小僧「はい! この公案はボクでも知っています!」

 

老僧「この公案は臨済宗・中興の祖と言われる白隠慧鶴(はくいん えかく)禅師が創案した事でも知られている。」

小僧「師匠! ボクはこの公案なら答えられます!」

 

老僧「おっ、それは凄いな。言ってごらん。」

小僧「はい! 答えはフィンガースナップ、ポール牧師匠の指パッチンです!」

 

 

老僧「・・・そんな事だろうと思った。因みに、ポール牧は曹洞宗の僧侶でもあった。還俗したけどな。」

小僧「きっと幸福の指パッチンで世俗から解脱したんです! ボクには分かります!」

 

 

老僧「そうだな。そういう事にしておこう。コメディアンとして見れば面白い人物だったし、指パッチンも極めていたしな。」

小僧「はい!」

 

 

老僧「しかし、残念ながら指パッチンでは公案の解にはならない。アウトだ、ブッブー。」

小僧「ブッブーって・・・。」

 

 

老僧「確かに指パッチンは片手でも音を鳴らせるが、どちらの手が音を立てたのかという問いの答えにはならない。・・・まさか、利き手の方に決まっているとか言うつもりでは無いよな?」

小僧「ぁうぇっ!? そそそそんな事は・・・。 」

 

 

老僧「図星か。」

小僧「・・・ごめんなさい、やっぱりボクはまだまだ修行が足りません。」

 

 

老僧「弟子の至らなさは師匠の責任だ。気にするな。」

小僧「師匠は立派な人なのに、ボクは・・・しょぼん。」

 

 

老僧「そうショゲるな。らしくないぞ。」

小僧「はい! うじうじするのはボクらしくないのでやめます!」

 

 

老僧「そうだな、それでいい。公案の話に戻るが、この話は片手の音を聞こうとするより、どちらの手が鳴ったのかと考えた方が良いぞ。」

小僧「どうしてですか?」

 

 

老僧「公案は参じる者の心に大疑団を起こさせる為にあるからだ。」

小僧「大疑団って何ですか?」

 

 

老僧「文字通り、大いなる疑いの塊になる事だ。真理・真実を探求するという事は、教義だの常識だの固定観念だのを一旦白紙に戻し、全てを疑ってかかるという事でもあるんだよ。」

小僧「大変そうですね!」

 

 

老僧「そりゃあ大変さ。全てを疑ってかかれば、確かなものなど一つも手元に残らなくなるからな。心の支えである確かなものが無くなれば不安でたまらないし、何より心が虚無感で一杯になる。」

小僧「え・・・それってヤバい精神状態なのでは?」

 

 

老僧「まあ、ヤバいっちゃヤバいな。」

小僧「そんな事を言っちゃって良いんですか?! みんなが怖がって仏教から逃げてしまったら困ります!」

 

 

老僧「まあ、怖くなって逃げるのは、それほど真理・真実を必要としていないという事でもあるんだがな。わしとしては、逃げられるうちは逃げても良いと思う。本当に切羽詰まったら、逃げる事さえ出来なくなるからな。」

小僧「それは、いずれ向き合わざるを得なくなる時が来るという事ですか?」

 

 

老僧「その通りだ。悟るべき人は、悟るべくして悟るんだよ。それが因果というものだ。」

小僧「因果、ですか。」

 

 

老僧「仏教が来る者は拒まず、去る者は追わずのスタンスを貫いているのは、そういう理由があるからだ。道理から外れていたら何をどうやっても上手くは行かない、行く筈が無い。当たり前の話だな。」

小僧「なるほど・・・。」

 

 

老僧「別の言い方をすると、確かだと思えるものが手元に残っているうちは、悟れないという事でもある。何故なら、人間は正しさや絶対なるものに執着するように出来ているからだ。」

小僧「あれ? お釈迦様が説いた真理は絶対じゃないんですか?」

 

 

老僧「ところがどっこい、真理は迷いと共に生じるものに過ぎず、絶対的なものでは無いんだよ。これを言うと仏教を貶めるなとばかりにキレる人が現れるから嫌なんだが、本当の事だから仕方が無い。」

小僧「えええぇ・・・じゃあ仏教って一体何なんですか・・・。」

 

 

老僧「うむ、それだよ。それこそが隻手の音声の答えなんだ。」

小僧「へっ?! どういう事ですか!?」

 

 

老僧「お前は悟りと迷い、どちらが先に生まれると思う?」

小僧「ボクは真理の方が先だと思います! 何故なら真理は真理だからです!」

 

 

老僧「それこそが隻手の音であり、この世に存在しない音なのだ。先に真理と迷いはセットだと言っただろう?」

小僧「師匠、今のは引っかけ問題です! どちらがと言って選ばせるのはズルいです!!」

 

 

老僧「表と裏、光と闇、善悪正邪、そして真理と迷妄。どれも独立単体で存在しているものではない。我々人間は対なる存在を比較する事で理解を深めるが、仮に片方しか存在しなかったら、その片方を理解するどころか認識する事すら出来ない。つまり、人間の認識能力は不完全なのだよ。」

小僧「う~ん。・・・ひょっとして、その認識能力の不完全さを知る事が、隻手の音を聴くという事なんですか?」

 

 

老僧「その通り、上出来だ。」

小僧「わーい、師匠に褒めてもらえました! やっぱりボクはやれば出来る子なんです、エッヘン!」

 

 

老僧「まあ、ここまでは考えれば分かる事だ。本題はここからだぞ。」

小僧「はい! 気を引き締めて頑張ります!」

 

 

老僧「隻手の音を聴いたなら、両手を打ち合わせた時にどちらの手が音を立てたのかを考えなければならない。それは二元相対に囚われず、超越するという事だ。」

小僧「超越、ですか。」

 

 

老僧「そうだ。こればかりは超越や解脱と表現するより他は無い。誤解を恐れずに言えば『両手を打ち合わせる前の音を聴け!』 となる。」

小僧「師匠、待ってください。両手を打ち合わせる前に音がする訳がありません!」

 

 

老僧「そうだな、我々人間は基本的に、片手(隻手)か両手を打ち合わせる音しか聴けないからな。」

小僧「え? それってどういう意味ですか??」

 

 

老僧「両手だろうが、隻手だろうが、出る音と言えば迷妄だけだ。その音は煩(うるさ)いだけで何の役にも立ちはしないのだが、人間社会はその音で満ち満ちている。誰かが打ち合わせた音が、また新たな音を生み出し、鳴り止む事は決して無い。」

小僧「両手・・・隻手・・・二つの問いの答え方は同じ・・・。」

 

老僧「悟りとは、そのやかましい隻手の音を止める事に他ならない。静寂の音、音無き音、音が出る前の音は、天上の音楽であり、涅槃(ニルヴァーナ)そのものなのだよ。」

小僧「天上の音楽、ですか・・・。」

 

老僧「言葉で説明出来るのはここまでだ。後は自分で思いを凝らして、二元相対を超越するしかない。師匠が弟子を悟らせてやる事など出来ん。出来るのは最後の一押しだけで、その一押しが有効になる瀬戸際まで、弟子が自分の足で歩いて行くしかないのだ。」

小僧「うう・・・この話は難し過ぎます! ボクには理解不能です!!」

 

 

老僧「悩まなくていいぞ。この話はわし自身を含めて、何人(なんぴと)たりとも理解できるようなものではない。と言うか、これは理解以前の話なのだ。だから理解しようと頑張るよりも、何故そうなのかと問い詰めて、因縁を辿る事を意識しなさい。」

小僧「理解の超越・・・因縁を辿る・・・。」

 

 

老僧「急いで答えを出そうとしなくて良い。何年かかっても構わん。だが、諦めるな。一つの答えに執着するな。元々この世に執着に値するものなど存在しない。あらゆる物事は実体が無く『空(くう)』であり、全ては過ぎ行くものであり、いずれ捨て去るしかないものだ。」

小僧「は、はいぃ・・・。」

 

 

老僧「・・・とまあ、こんな感じで疑団を深めていく訳だ。なかなかしんどいものがあるだろう?」

小僧「何と言うか、ちょっとボクには早いかも知れません・・・。」

 

 

老僧「そう思うなら無理をせず、人間界における多種多様な手の音に耳を傾けるべきだ。それもまた求道には必要な事だよ。」

小僧「はい、そうします・・・。」

 

有名な公案 一覧
・隻手の音声(せきしゅ の おんじょう) ・婆子焼庵(ばす しょうあん) ・南嶽磨磚(なんがく ません) ・父母未生本来面目(ぶも みしょう ほんらい めんもく)

 

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