老僧「・・・以上。これが無門関第二十三則、不思善悪(ふし ぜんあく)という公案の概要だ。」
小僧「ご教授、ありがとうございました! 流石は六祖・慧能(ろくそ・えのう)禅師ですね!」
老僧「ああ、追手の恵明(えみょう)をその場で悟らせるなど、とてもわしには真似出来んな。」
小僧「昔の禅者って、凄い人が多いですね~!」
老僧「因みに、公案のタイトルは不思善悪だが、慧能が恵明に問うた『父母未生本来面目』は独立した公案として用いられる事もある。」
小僧「ぶも みしょう ほんらい めんもくって、どういう意味なんですか?」
老僧「文字通り、父や母から生まれる前の自分という意味だ。」
小僧「ん~、それって過去生とか、胎内回帰(たいない かいき)の話ではないですよね?」
老僧「当然だな。そんな話が悟りのトリガーになる訳が無い。」
小僧「慧能禅師も凄いけど、そう聞かれてその場で悟った恵明禅師も凄いなぁ・・・。」
老僧「恵明もそれだけ悩みが深かったという事さ。それこそ夏目漱石の『門』の主人公のようにな。」
小僧「え? 何で夏目漱石が出て来るんですか?」
老僧「漱石が執筆した『門』という小説は、主人公の宗助(そうすけ)という脱落エリートが親友を裏切って、その内縁の妻と結婚したはいいが、罪悪感に苦しむという内容なんだよ。そして宗助は救いを求めて禅寺に参禅し、この公案を授かるという展開だ。」
小僧「うわぁ、略奪愛ですか。業の深い話ですねぇ・・・。」
老僧「漱石自身が鎌倉の円覚寺(えんかくじ)に参禅し、その時に授かった公案が『父母未生本来面目』だったと言われている。参禅の日数は10日程度で、特に学び得たものは無かったようだが。」
小僧「漱石さんは小説の為に参禅したんですか? それとも参禅の経験を小説にしたんですか?」
老僧「参禅の方がだいぶ先だな。漱石の生い立ちはなかなか複雑で、実父は死ぬまで漱石に金を無心していたと聞く。いわゆる毒親持ちだったのかも知れん。」
小僧「孤児(みなしご)のボクからすれば、親が居るだけマシなような気もしますけど・・・。」
老僧「お前の生い立ちも複雑だからな。わしに言えるのは、この世には関わってはいけない親や、一緒に生活するには危険過ぎる親も居るという事だけだ。」
小僧「ボクの親は師匠だけです! それで構いません!」
老僧(親が手を放してくれたからこそ、お前は真っすぐに育ってくれたのだ。あんな親の顔など、知らずとも良い・・・。)
小僧「ん? 何か言いましたか?」
老僧「いや、漱石も壮絶な人生だったと思ってな。確か帝国大学に入学した頃から厭世主義(えんせい しゅぎ)に陥り、英語教師になったはいいが日本人が英語を学んでどうするのかと思い悩み、徐々に精神を病んでいったらしい。」
小僧「大変だったんですね・・・。」
老僧「その頃に救いを求めて参禅したと聞く。だからこそ、この公案を与えられたのかも知れんな。」
小僧「両親から生まれる前の自分・・・ですか。」
老僧「そうだ。円覚寺の宗演(そうえん)老師は、漱石に家庭環境や社会の洗礼を受ける前の、無垢でまっさらな自己を取り戻してもらいたかったのかも知れん。」
小僧「無垢でまっさらな自己・・・。」
老僧「因みに、宗演老師は世界中で有名な仏教学者、鈴木大拙(すずき だいせつ)の師でもある。」
小僧「大拙居士(だいせつ こじ)の師匠だったんですか?! 大人物じゃないですか!」
老僧「そうだな。だからわしも円覚寺に参拝したかったんだが・・・おのれ鎌倉。」
小僧「クルマで行くからいけないんですよ。あのへんは観光地だから、一日中メチャ混みだって言ったのに・・・。」
老僧「ぐぅ、それを言われると弱いな。」
小僧「駐車場も高額ですもん。電車一択ですって。」
老僧「円覚寺、建長寺、鶴岡八幡宮、高徳院、長谷寺。全て参拝しようと思ったら、クルマじゃないと無理だと思ったんだよ。」
小僧「だから一日じゃ無理ですってば。何ですか、そのギュウギュウな旅は!」
老僧「他にもいっぱい参拝したい所があったから、仕方がなかったんだい!」
小僧「・・・師匠のキャラが変わってる(笑)」
老僧「おっと、つい地が出てしまった。」
小僧「威厳ナイデスヨー」
老僧「威厳など元々無いから心配するな。おかげで社会人だった頃は散々だったわ!」
小僧「あっ、師匠のトラウマを刺激しちゃった☆彡」
老僧「・・・わしで遊ぶなよ、全く。」
小僧「はい、すみませんでした師匠!」
老僧「やれやれ。・・・今、ふと思ったんだが、ひょっとして『門』の主人公である宗助の名は、宗演老師に因んだのかも知れんな。」
小僧「その可能性はありますね!」
老僧「まあ、根拠の無い思いつきだけどな。脱線ついでの豆知識だが、父母未生本来面目の公案には、松尾芭蕉も参じたという話もある。」
小僧「松尾芭蕉まで?! な、なんだかとっても尊い公案のような気がしてきました!」
老僧「権威主義に陥るなよ、過去に誰が参じたかなんて関係ないぞ。公案に参じるのは、飽くまでもお前自身なのだからな。」
小僧「はい、師匠!」
老僧「尤も、芭蕉は「父母」未生ではなく、「青苔」未生以前の本来の面目を尋ねられたらしいがな。そして芭蕉は『古池や 蛙飛びこむ 水の音』と詠んで返したとの事だ。諸説あるから、事実かどうかは微妙だけどな。」
小僧「そういう説もあるって事ですね、分かりました!」
老僧「父母未生も、青苔未生も答えは同じ『無垢なあるがままの姿』だ。それこそが真理であり、仏性であり、悟りの世界なのだ。つまり、芭蕉は『目の前で起きている真理』を俳句で表現した訳だな。」
小僧「俳聖(はいせい)らしいカッコイイ返し方です!」
老僧「昔は問いに対して道歌(どうか)で返す洒落た文化があったのだが、残念ながら廃れてしまった。悟境が深い人の道歌は本当に素晴らしいのに、もったいない話だ。」
小僧「ボクも俳句はセンスが無くてダメなんです・・・。」
老僧「皇族の方々は今でも素晴らしい俳句を詠まれるが、我々一般人は学校の授業でちょっとやって、それっきりだ。わしも得手とは言えん。」
小僧「そうですか? 師匠の道歌もカッコイイと思いますよ!」
老僧「わしは教養が無いからなぁ・・・。恥ずかしいから、あまり道歌は詠みたくないんだよ。」
小僧「そんな事ないですよ! 『真夜中を 切り裂き燃ゆる 流れ星 全てを後に 独り歩まん』とか『みぎひだり 相対するもの やかましや 分けぬ音をば 一如と云うなり』でしたっけ? あれなんか・・・。」
老僧「わあああ、やめてくれー! 恥ずかしくて死ぬううう!」
小僧「あははは! 今日は師匠から一本取りまくりだ~! たぁのし~ぃ♪」
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