坐禅が習慣になる前の禅者は、両親の保護が必要な赤ん坊と同じです。禅の様式を衣食住に取り入れて、しっかり環境を整えないと、そのうち他の事に関心が向いてしまいます。なので、まずは「形」から入りましょう。
茶道や武道などでは守・破・離(しゅ・は・り)と言って、流派の教えや、型、技などを忠実に守り、確実に身につける事から始めます。基本を身に付けたら、別の師に就いて学んだり、他流派の長所を取り入れて発展させていきます。
最後は流派から離れて、自ら新しい道を切り拓く段階に入りますが、そこまで行けるのはしっかりと基本を身に付け、しかも基本にとらわれない柔軟さを持ち合わせている人だけです。
かの鈴木大拙(大拙居士)は「形を十分に了解して、しかもそれにとらわれず、その精神の動くままに動くことができると、形は形だけでなく生きたものとなって、見る者に迫ってくる」と言いました。
最終的に形と精神は混然一体となるべきですが、最初からそのような境涯を目指すのは無謀というものです。だから禅の修行では形を尊び、形を学ぶ事から入るのです。しかし、仕事のある忙しい身で禅寺に行き、叱られながら形を学ぶのは辛いものです。
だからこそ、本格的な坐禅修行をする前の初心者向けの修行が必要なのですが、そこまで私達に合わせてくれるのは、臨済宗・方広寺派の向令孝禅師くらいかも知れません。

そもそも、我々一般人にとって毎日坐禅をする事自体がキツくて、なかなか続けられないのが実情ではないでしょうか。そこは管理人も同じで、坐禅の道を志したは良いものの、全然続かなくて困り果てた時期があります。
当時の私は会社勤めをしていたのですが、夜勤が多い所為で昼夜逆転しており、慢性的な睡眠障害に苦しんでいました。そのような状態で坐禅をしても、二秒で寝落ちするのが常でした。
このままでは坐禅修行にならないと思った私は、仕事を辞めて隠遁生活に入る事にしました。花の独身で、それなりに貯金もあったからこそ、早期リタイアという思い切った真似が出来たのですが、私の場合はここまでしないとダメだったのです。
坐禅をものにしようと思ったら、早朝の暁天坐禅(きょうてん ざぜん)は欠かせません。しかし、夜更かしが当たり前になっている現代人にとって、それはとても難しい事です。
暁天坐禅をするには、21時に消灯し、遅くても22時には就寝する必要があります。消灯後にTVや、PC、スマートフォンなどを見てしまうと、交感神経・副交感神経が乱れて、折角の暁天坐禅がただの居眠りになり果てます。
このような生活リズムは健康的ではあるものの、仕事や人付き合いを含む一般社会のリズムとは相容れません。だからこそ私は遁世者となり、坐禅中心の隠遁生活を送る事にしたのです。
実際、生活環境さえ整えてしまえば、坐禅を続けるのは難しくありません。何せ、寝起き直後のボーッとした頭のままで、ただ座っていれば良いだけですから。でも、神経が乱れていたり、脳が疲弊していると、ただ坐るだけの事が難しくなってしまうのです。

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