行雲流水
仏教の開祖である釈迦世尊は家を持たず、死の直前まで旅を続けた遊行僧(ゆぎょうそう)でした。釈迦正伝28代目であり、禅宗の宗祖である達磨大師も、インドから中国・嵩山少林寺まで流れてきた風来坊です。
昔の禅僧は、空を行く雲や流れる水のように行方を決めず、正師を求めて諸国を行脚したので、雲水(うんすい)と呼ばれました。現代では野宿をすると問題になるので、禅寺から禅寺へと流れ行くスタイルに変化しています。
人間は見ず知らずの土地に行き、新しい刺激を受ける事によって成長するものです。僧侶にとって旅は修行の一環であり、坐禅や作務とは異なるアプローチによって祖師方の教えを会得しようとします。
「かわいい子には旅をさせろ」という諺(ことわざ)があるように、我々一般人も旅によって大きく成長するものです。「旅に出たい」と思った瞬間から成長が始まり、何処に行きたいのかと自問自答する事で旅の目的が明確になっていきます。
禅に関心を持つならば、宗派にこだわらず、臨済宗15派、曹洞宗2派、黄檗宗1派の本山に参拝してみましょう。その方が、宗派ごとの微妙な違いを体感できます。
臨済宗
日本最古の禅道場は、大陸に2度渡り、中国臨済宗・黄竜派(おうりょうは)の禅を学んだ明庵栄西(みんなん ようさい)禅師が開山した建仁寺(けんにんじ)です。
開山当初は、禅、天台、密教の三宗兼学(さんしゅう けんがく)の道場でしたが、中国臨済宗・楊岐派の渡来僧・蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)禅師が住持を務めた頃から、松源系の純粋禅道場になりました。
因みに栄西禅師の弟子である明全(みょうぜん)は、のちに日本曹洞宗の開祖となる道元禅師に黄竜派の禅を教えています。
蘭渓道隆禅師が開山した神奈川県の建長寺(けんちょうじ)は、応・燈・関の大応国師(だいおう こくし)と、その弟子である大燈国師(だいとう こくし)が修行した禅寺です。臨済宗では坐禅道具の単布団(たんぶとん)を敷いて、人と対面で坐ります。
大燈国師の弟子である関山慧玄(かんざん えげん)禅師が開山した大徳寺(だいとくじ)は、一休宗純(いっきゅう そうじゅん)禅師が第47世住持を務めた事や、千利休が切腹を申し付けられた事と深く関係する寺として知られています。
関山慧玄禅師が開山した妙心寺(みょうしんじ)は、室町幕府が制定した五山十刹(ござん じゅっせつ)から外れた林下の寺ですが、第3世住持の無因宗因(むいんそういん)禅師まで応・燈・関の法脈を継ぎました。
他にも、南禅寺、東福寺、天龍寺、相国寺、向嶽寺、円覚寺、方広寺、永源寺、国泰寺、佛通寺があります。
黄檗宗(臨済正宗)
中国臨済宗の正統法嗣である隠元隆琦(いんげん りゅうき)禅師は、西暦1654年に来日し、1660年に黄檗山・萬福寺(おうばくさん・まんぷくじ)を開山しました。中国福清省にも黄檗山・萬福寺がありますが、そちらは「古黄檗」と区別されています。
明治時代に黄檗宗と改名させられましたが、教義は変わらず、日本の臨済宗と同じです。
曹洞宗の禅寺
日本曹洞宗の開祖である道元禅師は、栄西禅師の弟子である明全(みょうぜん)和尚と共に宋の国に渡り、厳しい修行の末に大悟見性されました。帰国後、京都に興聖寺を開山し、43歳の時に永平寺(大仏寺)を開山しました。
曹洞宗第四祖・瑩山禅師は、石川県に總持寺(祖院)を開山しました。明治時代の火災により、本山としての機能は鶴見・總持寺に移転しています。曹洞宗の隆盛は、瑩山禅師ら總持寺派の努力による所が大きいと言われています。
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