臨済禅の備忘録

2019年12月20日備忘録

 

白隠慧鶴「公案禅」の階梯

 

・法身の公案

 

無門関 第1則 「狗子仏性」

 

無門関 第23則 「不思善悪」 

 

無門関 第37則 「庭前柏樹」 

 

 

・機関の公案

 

無門関 第7則  「趙州洗鉢」

 

無門関 第14則 「南泉斬猫」  

 

 

・言栓の公案

 

無門関 第11則「州勘庵主」

 

無門関 第18則「洞山三斤」

 

無門関 第21則「雲門屎厥」

 

 

・難透の公案

 

無門関 第35則「倩女離魂」

 

無門関 第38則「牛過窓櫺」

 

 

・向上の公案

 

無門関 第13則「徳山托鉢」

 

 

・洞上五位 

 

中国・曹洞宗(洞曹宗とも)の宗祖・洞山良价(とうざん りょうかい)の五位説(正偏五位・功勲五位)を学ぶ?

 

 

・十重禁戒(じゅうじゅうごんかい)

 

梵網経・下巻(菩薩戒経とも言われる)の「十重四十八軽戒」と呼ばれている禁戒を学ぶ?

 

 

・末後の牢関

 

特定の公案は無いと言われている?

 

 

日本臨済宗の系譜

 

・白隠慧鶴

白隠は道鏡慧端(どうきょう えたん)の弟子。妙心寺・応燈関派。24歳で鐘の音を聞いて見性し、その後は道鏡に師事して境涯を深める。42歳でコオロギの声を聴いて大悟徹底したとの逸話で知られる。その後、衰退していた臨済宗を再興した。日本の臨済宗14派(黄檗宗は含まれない)は、白隠を中興の祖としている。

 

・道鏡慧端(どうきょう えたん)

道鏡は至道無難(しどう むなん)の弟子。正受老人。16歳で見性し、19歳で出家。20歳で至道から印可を許された。白隠への苛烈な指導の逸話で知られる。長野県飯山市に正受庵が残る。

 

・至道無難(しどう むなん)

至道は愚堂東寔(ぐどう とうしょく)の弟子。世の無常に悩み苦しみ、在家のまま愚堂から公案を授かり開悟。その後、出家する。至道の号は、中国禅宗・三祖僧璨の著書「信心銘」の一句から。「生きながら 死人となりて なりはてて 思いのままに するわざぞよき」の道歌で知られる。

 

・愚堂東寔(ぐどう とうしょく)

愚堂は庸山景庸(ようざん けいよう)の弟子。妙心寺・聖沢派(しょうたくは)八祖。妙心寺派の寺院、大仙寺の住職を務めていた時に、沢庵宗彭(たくあん そうほう)に勧められて来た宮本武蔵に禅を教えた事で知られる。大陸より隠元隆琦(いんげん りゅうき)が来日した際、妙心寺に迎えようとしたのを拒んだ。

 

・庸山景庸(ようざん けいよう)

庸山は東漸宗震(とうぜん そうしん)の弟子。妙心寺の住職で、妙心寺・聖沢派(しょうたくは)七祖。師の東漸と共に聖沢院を復興させた。

 

・東漸宗震(とうぜん そうしん)

東漸は以安禅師(いあん ぜんじ)の弟子。妙心寺・聖沢派(しょうたくは)六祖。弟子の庸山景庸(ようざん けいよう)と共に聖沢院を復興させた。

 

・以安禅師(いあんぜんじ)

東漸宗震(とうぜん そうしん)の師。詳細不明につき調査中。

 

・関山慧玄(かんざん えげん)

関山は宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)の弟子。無相大師。応燈関の関。出家して南浦紹明(なんぽ しょうみょう)に弟子入りし、師亡き後は各地を転々とする。宗峰と出会って大徳寺に入り、公案を授かって開悟する。妙心寺の御開山。応燈関の法脈は白隠まで続き、日本の臨済宗に強い影響を与えた。

 

・宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)

宗峰は南浦紹明(なんぽ しょうみょう)の弟子。大燈国師。応燈関の燈。南浦に師事し建長寺に移る。26歳で印可を授かり法を嗣ぐ。その後は20年間、乞食同然の暮らしをしながら修行を続けた。大徳寺の御開山。「専一に己事を究明する底は、老僧と日日相見報恩底の人なり(己事究明)」の遺戒で知られる。

 

・南浦紹明(なんぽ しょうみょう)

南浦は蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)の弟子。大応国師。応燈関の応。建長寺で中国臨済宗楊岐派・松源系の蘭渓に師事した後、大陸に渡って松源系の虚堂智愚(きどう ちぐ)に師事する。帰国後は博多と京都の住持を務め、最後は建長寺に戻って亡くなった。

 

・蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)

蘭渓は中国臨済宗楊岐派・松源系の無明慧性(むみょう えしょう)の弟子。大覚禅師。33歳の時に来日し、日本国内に松源系の純粋禅を広める。その純粋禅は大覚派と呼ばれている。鎌倉の建長寺の御開山。京都の建仁寺の住職を務め、建仁寺の禅風を「禅・天台・密教」の三宗兼学から純粋禅に変えた。

 

・明庵栄西(みょうあん えいさい)

比叡山延暦寺にて14歳で出家。大陸に2度渡り、中国臨済宗・黄竜派(おうりょうは)の禅を学び、印可を許される。京都は建仁寺の御開山。栄西は建仁寺を「禅・天台・密教」の三宗兼学の道場とした。一大勢力を誇った独覚禅者の日本達磨宗・大日坊能忍(だいにちぼう のうにん)とは、犬猿の仲だった。栄西の弟子である明全(みょうぜん)は、日本曹洞宗の開祖・道元に黄竜派の禅を教えた。

 

 

※ 日本の臨済宗には14人の派祖が居ますが、その14派は全て中国臨済宗の「五家七宗」の一つ、楊岐派(ようぎは)から派生したものです。残念ながら、栄西禅師が伝えた黄竜派の禅は絶法しました。中国臨済宗は日本黄檗宗(宗祖は隠元隆琦)のように観想念仏や加持祈祷などもするようで、本来の臨済宗という考え方をするなら、松源系の純粋禅の方が異端になるのかも知れません。

 

 

中国の臨済禅

・松源崇岳(しょうげん すうがく)

楊岐派の純粋禅(松源系)を確立した事で知られる。弟子の無明慧性(むみょう えしょう)は、来日僧の蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)の師。日本の僧呂、南浦紹明(なんぽしょうみょう・大応国師)は蘭渓の弟子であり、後に大陸に渡って松源系の虚堂智愚(きどう ちぐ)に師事した。

 

・楊岐方会(ようぎ ほうえ)

中国禅の五家七宗(ごけしちしゅう)に数えられる臨済宗・楊岐派の派祖。当時、衰退していた臨済宗を再興させた。日本の禅は、楊岐派の禅と言っても過言では無い。

 

・黄竜慧南(おうりょう えなん)

中国禅の五家七宗(ごけ しちしゅう)に数えられる臨済宗・黄竜派(おうりょうは)の派祖。衰退していた臨済宗を再興させたが、やがて絶法。黄竜派の禅は、道教との融合系と考えられており、日本の天台僧・明庵栄西が学んだ禅は、黄竜派の禅だった。

 

 

※ 中国・南宗禅の5宗と、2つの分派を合わせて五家七宗(ごけしちしゅう)と呼び、臨済宗・楊岐派と曹洞宗意外は絶法しました。

雲門宗 = 慧能 → 青原行思 → 石頭希遷 → 徳山宣鑑 → 雲門文偃(開祖) → 絶法。

法眼宗 = 慧能 → 青原行思→ 七代 → 清涼文益(開祖) → 絶法。

曹洞宗 = 慧能 → 青原行思→薬山惟儼→雲巌曇晟→洞山良价(開祖)→ 現存。

潙仰宗 = 慧能 → 南嶽 → 馬祖 → 百丈 → 潙山霊祐(開祖) → 臨済宗と同化。

臨済宗 = 慧能 → 南嶽 → 馬祖 → 百丈 → 黄檗 → 臨済(開祖) → 楊岐派と黄竜派に分派。

 

黄竜派 = 栄西や真言僧の俊芿(しゅんじょう)が伝えるも、絶法。

楊岐派 = 日本に伝わり、主流となる。

 

 

・臨済義玄(りんざい ぎげん)

臨済は黄檗希運(おうばく きうん)の弟子。臨済宗開祖。臨済将軍、臨済の喝で知られる。名言多数で、禅語録の王と言われるほど逸話が多い。

 

・黄檗希運(おうばく きうん)

黄檗は百丈懐海(ひゃくじょう えかい)の弟子。中国臨済宗、黄檗山・黄檗寺の御開山。黄檗三打(おうばく さんだ)の逸話で知られる。因みに「黄檗宗」は、江戸時代に来日した中国臨済宗・楊岐派の隠元隆琦(いんげん りゅうき)を開祖とする日本独自の宗派。

 

・百丈懐海(ひゃくじょう えかい)

百丈は馬祖道一(ばそ どういつ)の弟子。無門関・第二則「百丈野狐(ひゃくじょう やこ)」の逸話で知られる。禅の規律書「百丈清規(古規)」の著者で、一日作(な)さずんば一日食わずと言った。

 

・馬祖道一(ばそ どういつ)

馬祖は南嶽懐譲(なんがく かいじょう)の弟子。平常心是道(びょうどうしんぜどう)の逸話で知られる。無門関・第十九則「平常是道(びょうどうぜどう)」に出てくる南泉普願(なんせん ふがん)は、馬祖の弟子。趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)は南泉の弟子だが、黄檗希運(おうばく きうん)の元でも修行している。

 

・南嶽懐譲(なんがく かいじょう)

南嶽は六祖慧能(ろくそ えのう)の弟子。「説似一物即不中(似たような事は言えるが、それそのものは伝えられない)」や「南嶽磨磚(なんがく ません・瓦を磨いても鏡にはならない)」の逸話で知られる。

 

・六祖慧能(ろくそ えのう)

慧能は五祖弘忍(ごそ ぐにん)の弟子。大鑑(だいかん)慧能、曹渓(そうけい)慧能とも。文盲である事や、五祖弘忍(ごそ ぐにん)から衣鉢を受け継いだのち、僧侶になったとの逸話で知られる。慧能は南宗頓悟禅・五家七派(ごけしちしゅう)の祖とされ、同じく弘忍の弟子だった神秀(じんしゅう)は北宗漸悟禅とされた。

※日本の天台僧・最澄は、入唐して天台教学・戒律・密教・禅を学んだが、その禅は北宗禅だった。

 

・五祖弘忍(ごそ ぐにん)

弘忍は四祖道信(しそ どうしん)の弟子。師の道信と共に、東山法門として中国禅宗を発展させた事で知られる。

 

・四祖道信(しそ どうしん)

道信は三祖僧璨(さんそ そうさん)の弟子。弟子の弘忍と共に、東山法門として中国禅宗を発展させた事で知られる。

 

・三祖僧璨(さんそ そうさん)

僧璨鑑智(そうさん かんち)は二祖慧可(にそ えか)の弟子。在家の居士として慧可と対話し、悟る。著書「信心銘」は禅宗四部録として知られる。

 

・二祖慧可(にそ えか)

慧可は初祖達磨の弟子。片腕を切り落として決意を示した「慧可断臂(えか だんぴ)」の逸話で知られる。

 

・初祖達磨(しょそ だるま)

達磨大師(ボーディ・ダルマ)は、古代イラン・ササン朝ペルシア出身の西域南天竺(南インド)の仏教僧。釈迦から28代目と言われる。海を渡り、河南省は崇山少林寺(のちに曹洞正宗を名乗る)にて面壁坐禅を九年行い、大悟徹底したとの逸話で知られる。

 

※ここから遡って読むのも、面白いかも知れません。

 

2019年12月20日備忘録

Posted by 清濁 思龍