坐禅と法脈

 

・白隠慧鶴

白隠は道鏡慧端(どうきょう えたん)の弟子。妙心寺・応燈関派。24歳で鐘の音を聞いて見性し、その後は道鏡に師事して境涯を深める。42歳でコオロギの声を聴いて大悟徹底したとの逸話で知られる。その後、衰退していた臨済宗を再興した。日本の臨済宗14派(黄檗宗は含まれない)は、白隠を中興の祖としている。静岡県・松陰寺に墓がある。

 

・道鏡慧端(どうきょう えたん)

道鏡は至道無難(しどう むなん)の弟子。正受老人。16歳で見性し、19歳で出家。20歳で至道から印可を許された。白隠への苛烈な指導の逸話で知られる。長野県飯山市に正受庵が残る。

 

・至道無難(しどう むなん)

至道は愚堂東寔(ぐどう とうしょく)の弟子。世の無常に悩み苦しみ、在家のまま愚堂から公案を授かり開悟。その後、出家する。至道の号は、中国禅宗・三祖僧璨の著書「信心銘」の一句から。「生きながら 死人となりて なりはてて 思いのままに するわざぞよき」の道歌で知られる。東京・東北寺に墓がある。

 

・愚堂東寔(ぐどう とうしょく)

愚堂は庸山景庸(ようざん けいよう)の弟子。妙心寺・聖沢派(しょうたくは)八祖。妙心寺派の寺院、岐阜県・大仙寺の住職を務めていた時に、沢庵宗彭(たくあん そうほう)に勧められて来た宮本武蔵に禅を教えた事で知られる。

中国臨済宗・楊岐派の正統後継者である隠元隆琦(いんげん りゅうき)が渡来した際、妙心寺に迎えようとしたのを拒んだ。

 

・庸山景庸(ようざん けいよう)

庸山は東漸宗震(とうぜん そうしん)の弟子。妙心寺の住職で、妙心寺・聖沢派(しょうたくは)七祖。師の東漸と共に聖沢院を復興させた。

 

・東漸宗震(とうぜん そうしん)

東漸は以安知察(いあん ちさつ)の弟子。妙心寺・聖沢派(しょうたくは)六祖。弟子の庸山景庸(ようざん けいよう)と共に聖沢院を復興させた。

 

・以安智察(いあん ちさつ)

先照瑞初(せんしょう ずいしょう)禅師の弟子。愛知県の瑞泉寺、東光寺の住職を務めた。

 

・先照瑞初(せんしょう ずいしょう)

功甫玄勲(こうほ げんくん)禅師の弟子。

 

・功甫玄勲(こうほ げんくん)

 

・太雅耑匡(たいがたんきょう)

 

・東陽英朝

 

・雪江宗深

 

・義天玄承

 

・日峯宗舜

 

・無因宗因

 

・授翁宗弼

 

・関山慧玄(かんざん えげん)

関山は宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)の弟子。無相大師。応燈関の関。出家して南浦紹明(なんぽ しょうみょう)に弟子入りし、師亡き後は各地を転々とする。宗峰と出会って大徳寺に入り、公案を授かって開悟する。妙心寺の御開山。応燈関の法脈は白隠まで続き、日本の臨済宗に強い影響を与えた。

 

・宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)

宗峰は南浦紹明(なんぽ しょうみょう)の弟子。大燈国師。応燈関の燈。南浦に師事し建長寺に移る。26歳で印可を授かり法を嗣ぐ。その後は20年間、乞食同然の暮らしをしながら修行を続けた。大徳寺の御開山。「専一に己事を究明する底は、老僧と日日相見報恩底の人なり(己事究明)」の遺戒で知られる。

 

・南浦紹明(なんぽ しょうみょう)

南浦は蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)の弟子。大応国師。応燈関の応。建長寺で中国臨済宗楊岐派・松源系の蘭渓に師事した後、大陸に渡って松源系の虚堂智愚(きどう ちぐ)に師事する。帰国後は博多と京都の住持を務め、最後は建長寺に戻って亡くなった。

 

・蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)

蘭渓は中国臨済宗楊岐派・松源系の無明慧性(むみょう えしょう)の弟子。大覚禅師。33歳の時に来日し、日本国内に松源系の純粋禅を広める。その純粋禅は大覚派と呼ばれている。鎌倉の建長寺の御開山。京都の建仁寺の住職を務め、建仁寺の禅風を「禅・天台・密教」の三宗兼学から純粋禅に変えた。

 

・明庵栄西(みんなん ようさい)

比叡山延暦寺にて14歳で出家。大陸に2度渡り、中国臨済宗・黄竜派(おうりょうは)の禅を学び、印可を許される。京都は建仁寺の御開山。栄西は建仁寺を「禅・天台・密教」の三宗兼学の道場とした。一大勢力を誇った独覚禅者の日本達磨宗・大日坊能忍(だいにちぼう のうにん)とは、犬猿の仲だった。栄西の弟子である明全(みょうぜん)は、日本曹洞宗の開祖・道元に黄竜派の禅を教えた。

 

 

・松源崇岳(しょうげん すうがく)

楊岐派の純粋禅(松源系)を確立した事で知られる。弟子の無明慧性(むみょう えしょう)は、来日僧の蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)の師。日本の僧呂、南浦紹明(なんぽしょうみょう・大応国師)は蘭渓の弟子であり、後に大陸に渡って松源系の虚堂智愚(きどう ちぐ)に師事した。

 

・無門慧開(むもん えかい)

臨済宗・楊岐派の僧侶であり、有名な公案集・無門関の著者。

 

・五祖法演(ごそ ほうえん)

楊岐方会の孫弟子。五祖弘忍が居た黄梅山で活動していたので「五祖山の法演」という意味でそう呼ばれた。公案禅(看話禅)の大成者であり、無門関・第35則の倩女離魂(せいじょ りこん)や第38則の牛過窓櫺(ぎゅうか そうれい)などの公案の作者としても有名。

 

・楊岐方会(ようぎ ほうえ)

中国禅の五家七宗(ごけしちしゅう)に数えられる臨済宗・楊岐派の派祖。当時、衰退していた臨済宗を再興させた。日本の禅は、楊岐派の禅と言っても過言では無い。

 

・黄竜慧南(おうりょう えなん)

中国禅の五家七宗(ごけ しちしゅう)に数えられる臨済宗・黄竜派(おうりょうは)の派祖。衰退していた臨済宗を再興させたが、やがて絶法。黄竜派の禅は、道教との融合系と考えられており、日本の天台僧・明庵栄西が学んだ禅は、黄竜派の禅だった。

 

・臨済義玄(りんざい ぎげん)

臨済は黄檗希運(おうばく きうん)の弟子。臨済宗開祖。臨済将軍、臨済の喝で知られる。名言多数で、禅語録の王と言われるほど逸話が多い。

 

・黄檗希運(おうばく きうん)

黄檗は百丈懐海(ひゃくじょう えかい)の弟子。中国臨済宗、黄檗山・黄檗寺の御開山。黄檗三打(おうばく さんだ)の逸話で知られる。因みに「黄檗宗」は、江戸時代に来日した中国臨済宗・楊岐派の隠元隆琦(いんげん りゅうき)を開祖とする日本独自の宗派。

 

・百丈懐海(ひゃくじょう えかい)

百丈は馬祖道一(ばそ どういつ)の弟子。無門関・第二則「百丈野狐(ひゃくじょう やこ)」の逸話で知られる。禅の規律書「百丈清規(古規)」の著者で、一日作(な)さずんば一日食わずと言った。

 

・馬祖道一(ばそ どういつ)

馬祖は南嶽懐譲(なんがく かいじょう)の弟子。平常心是道(びょうどうしんぜどう)の逸話で知られる。無門関・第十九則「平常是道(びょうどうぜどう)」に出てくる南泉普願(なんせん ふがん)は、馬祖の弟子。趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)は南泉の弟子だが、黄檗希運(おうばく きうん)の元でも修行している。

 

・南嶽懐譲(なんがく かいじょう)

南嶽は六祖慧能(ろくそ えのう)の弟子。「説似一物即不中(似たような事は言えるが、それそのものは伝えられない)」や「南嶽磨磚(なんがく ません・瓦を磨いても鏡にはならない)」の逸話で知られる。

 

・六祖慧能(ろくそ えのう)

慧能は五祖弘忍(ごそ ぐにん)の弟子。大鑑(だいかん)慧能、曹渓(そうけい)慧能とも。文盲である事や、五祖弘忍(ごそ ぐにん)から衣鉢を受け継いだのち、僧侶になったとの逸話で知られる。慧能は南宗頓悟禅・五家七派(ごけしちしゅう)の祖とされ、同じく弘忍の弟子だった神秀(じんしゅう)は北宗漸悟禅とされた。

※日本の天台僧・最澄は、入唐して天台教学・戒律・密教・禅を学んだが、その禅は北宗禅だった。

 

・五祖弘忍(ごそ ぐにん)

弘忍は四祖道信(しそ どうしん)の弟子。師の道信と共に、東山法門として中国禅宗を発展させた事で知られる。

 

・四祖道信(しそ どうしん)

道信は三祖僧璨(さんそ そうさん)の弟子。弟子の弘忍と共に、東山法門として中国禅宗を発展させた事で知られる。

 

・三祖僧璨(さんそ そうさん)

僧璨鑑智(そうさん かんち)は二祖慧可(にそ えか)の弟子。在家の居士として慧可と対話し、悟る。著書「信心銘」は禅宗四部録として知られる。

 

・二祖慧可(にそ えか)

慧可は初祖達磨の弟子。片腕を切り落として決意を示した「慧可断臂(えか だんぴ)」の逸話で知られる。

 

・初祖達磨(しょそ だるま)

達磨大師(ボーディ・ダルマ)は、古代イラン・ササン朝ペルシア出身の西域南天竺(南インド)の仏教僧。釈迦から28代目と言われる。海を渡り、河南省は崇山少林寺(のちに曹洞正宗を名乗る)にて面壁坐禅を九年行い、大悟徹底したとの逸話で知られる。

 

 

現存する日本の禅

初祖・達磨大師の禅は、北宗禅と、南宗禅に分かれました。北宗禅は時代の波に飲まれて滅びましたが、南宗禅は五宗と二つの分派(五家七宗)に分かれました。日本に伝わって現存するのは、臨済宗・楊岐派と、道元禅師が伝えた曹洞宗だけです。

残念ながら、渡来僧の道璿(どうせん)が伝えた北宗禅や、栄西禅師が伝えた黄竜派の禅は絶法してしまいました。

因みに、中国臨済宗は日本黄檗宗(宗祖は隠元隆琦)のように観想念仏や加持祈祷などもするので、本来の臨済宗という考え方をするなら、松源系純粋禅の方が異端かも知れません。

雲門宗 = 慧能 → 青原行思 → 石頭希遷 → 徳山宣鑑 → 雲門文偃(開祖) → 絶法。

法眼宗 = 慧能 → 青原行思→ 七代 → 清涼文益(開祖) → 絶法。

曹洞宗 = 慧能 → 青原行思→薬山惟儼→雲巌曇晟→洞山良价(開祖)→ 現存。

潙仰宗 = 慧能 → 南嶽 → 馬祖 → 百丈 → 潙山霊祐(開祖) → 臨済宗と同化。

臨済宗 = 慧能 → 南嶽 → 馬祖 → 百丈 → 黄檗 → 臨済(開祖) → 楊岐派と黄竜派に分派。

 

黄竜派 = 栄西や真言僧の俊芿(しゅんじょう)が伝えるも、絶法。

楊岐派 = 日本に伝わり、主流となる。

 

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